INTERVIEW.4

大阪商人の信頼・
信用を矜持に発展し、
賑わいと穏やかさを兼ね備えた街

伊助の男気に惹かれた
維新の志士たち

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昭和、花外楼浜側

加賀出身だった初代の伊助は、天保年間に加賀伊の名で料理旅館を始めました。各藩の志士が大阪に集まり、歴史が混沌としていた幕末、加賀伊はまだ若かった桂小五郎(木戸孝允)や伊藤博文に定宿として利用されていました。
伊助はとても男気のある人で、お客であった桂たちを命を張ってかくまった。そうして信頼関係が生まれた結果、維新後の明治8年、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文らが集まり、世にいう大阪会議がここで開かれたのです。この時に木戸孝允が店名を「花外楼」と命名し、揮毫した額は、今も店内に飾ってあります。
料理旅館から料理屋となり、船場の北の端「北浜」の地で、お客様に料理を提供し続けてきた花外楼は、耐震やバリアフリーを取り入れた建て替え工事を行い、3年前にまたこの地に戻ってきました。創業から180年余、私は五代目の女将になりますが、信頼・信用を第一にするという伊助の思いを大切に、この北浜の地で、今もお客様をお迎えしています。

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    伊藤博文「花魁扁額」

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    木戸孝允が大阪会議の成功を祝って「花外楼」と揮毫

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    五姓田芳柳「初代伊助夫婦像」

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    伊藤博文により大阪会議開催に至るまでの経緯がかかれた書

生まれ育った北浜を
愛する気持ちが生まれて

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私自身は北浜生まれの北浜育ち。小さな頃、中之島公園にある噴水がカラフルな電飾で飾られているのを飽かず眺めたり、おひな祭りには、明治時代からあるおひな様や、いろんなお飾りを出して、ままごと遊びをしていたのも懐かしい思い出ですね。大学を卒業後、家業を手伝うようになって、改めて北浜のよさを知り、愛する気持ちが生まれました。
一時期、企業や芸能・文化の中枢が東京に移ったり、ドーナツ化現象で人口が減ったことで、大阪に元気がない時代もありました。でも、大阪はいろんなことを受け入れてきたことで、モノやお金が集まって、パワフルな街になってきた。父には、口で約束したことは違えない、商売では信用を失くさないように自らが徳を積む、と教わってきました。そうした風土・精神は今も健在で、商売にもスピリットがある。大阪は懐が深い。私の愛する街です。

穏やかで暮らしやすく、賑わいのあるまちに

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中之島公園

北浜は本当によい街になりました。昼間は、川沿いを幼稚園の子どもたちが散歩し、芝生でのんびりお弁当を広げる人、ジョギングする人もいます。カモやサギなど水鳥も帰ってきました。公園は市民が憩える場所になり、行政も水辺を活かそうという気運があります。 もう一度北浜が水の都になって、若い人たちにも憩ってもらえる空間になるといいですね。この大川で現代版水の賑わい、大阪を代表するようなイベントができたらと、夢はふくらみます。
ある方に「人は出会うべき場所で、出会うべき時、出会うべき人に出会う、その時歴史が動く」と言われました。まさに、ここ北浜にあってこそ、かつて大阪会議のような歴史を作る出来事も起きえたし、多くの方々との貴重な出会いもある。それらすべて、大阪の歴史と思って、私も女将を続けさせていただいています。
ここに住む方が増えて、その方々が快適にお住まいになって、より北浜の街に愛着を持っていただければ‥と願っています。

INTERVIEW

花外楼 女将徳光 正子 氏

天保年間創業の料亭・花外楼の長女として生まれ育つ。大学を卒業し、祖母の介護の後、家業に従事する。花外楼の自社ビル「アイルモレ・コタ」を企画プロデュースするなど、優れた手腕を発揮。現在は花外楼五代目女将をつとめる。旅行、絵画鑑賞、観劇と趣味も幅広い。

徳光 正子 氏

INFORMATION

[日本料理]花外楼 北浜本店

天保元年(1830)に創業、明治8年(1875)、政府要人が集った大阪会議の舞台ともなった料亭。3年前に建て替えられた本館には、新館ながら歴史と風格が漂う。旬の素材を使ったおもてなし料理は、人生の節目のセレモニーや会食などにぴったりです。 ■大阪市中央区北浜1-1-14■06-6231-7214■11:00~15:00、17:00~22:00(2日前までに要予約)■日曜、祝日、8月中旬、年末年始休

北浜本店

<公式>インタビュー|プラウドタワー北浜│地下鉄堺筋線「北浜」駅徒歩1分、地下鉄御堂筋線「淀屋橋」駅徒歩7分の新築分譲マンション

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