プラウドが生まれる街神田駿河台

東京駅から4分。東京の真ん中に位置する高台の街・神田駿河台。
大学や教育施設、山の上ホテルやニコライ堂など歴史的な建物が連なる文教の地です。街の風格を守り、文化を育む。
そんな街のこれまでとこれからを紹介します。

1 神田駿河台の街を歩く

駿河台の緑にかこまれ
人が出会い、学び、文化を育む街

レモン画翠

地名に「台」という文字が入っている通り、神田駿河台は高台の街です。地盤が堅固で風光明媚な高台、つまり山の手は、いつの時代も要人の邸宅や重要な施設が建つ場所でした。神田駿河台も同様に、江戸時代に多くの旗本が住み、明治時代には西園寺公望の屋敷も建っていました。その後、広大な武家屋敷の跡地に大学が集まり、神田駿河台は文教の街へと変化していったのです。

文化人を多く輩出した文化学院の旧校門

「高台」「歴史」「文教」。神田駿河台が持つこの3つの顔は、街を歩くとはっきりと見えてきます。最寄り駅はJR御茶ノ水駅。御茶ノ水橋口を出て左に曲がると、世界有数といわれる楽器街。その先は明大通りの下り坂になっていて、坂の周囲に明治大学、日本大学、中央大学。多くの学生や教員が行き交い、賑わっています。坂を降りきると駿河台下の交差点。左はスポーツ用品店街で、右に曲がると、書店の街、日本一の知のアーカイブ、神保町です。

エスパス・ビブリオ 珈琲とビオワインが愉しめるブックカフェ

学生たちが学び、集い、語る。青春がぎゅっと詰まった神田駿河台はまた、若いマインドを持ち続ける人たちにも響く街です。そしてこの街の、時が磨いてきた文化は、大人だからこそ深く味わえるものです。明大通りから明治大学の幅の広い階段の角を西に折れるととちの木通り。高台の落ち着いた雰囲気を肌で感じながらこの道を行くと、大正時代から続く語学教育の老舗、アテネ・フランセ。併設されているアテネ・フランセ文化センターはアート系映画ファンの聖地です。駅前には老舗画材店のレモン画翠もあります。

アテネ・フランセ

風格を守り楽しみながら
知と文化を発信し続ける街

ワテラス

御茶ノ水ソラシティなど新しいスポットも誕生しながら、落ち着きと風格を感じさせる神田駿河台。ニコライ堂の愛称で知られる東京復活大聖堂教会や老舗書店など、新しいものを受け入れながらも、古き良きものは大切にする。だから神田駿河台は風格を保ち続けることができるのでしょう。

御茶ノ水ソラシティのマルシェ
ニコライ堂

2 新しい風

神田駿河台の街を見守る
丘の上のホテルの物語

神田駿河台のメインストリート、明大通り。そのすぐ裏手に瀟洒なホテルが佇んでいます。山の上ホテル。特徴的なファサードが眼を惹くアールデコ様式の建物は1937年の竣工で、名建築家、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計です。
総支配人の中村淳さんにお話をうかがいました。

建設当時の意匠を復元したロビー

「私が入社した1972年当時、ホテルの周りは森みたいでした。木がうっそうと茂っていて、涼しい風が吹いていたんです。私どものホテルはマロニエ並木の坂の頂上にあるのですが、坂を登ると眼の前にアールデコの建物が現れて、従業員の私が言うのはおかしいかもしれませんが、素敵なんですよ。気持ちもリラックスするんです」

総支配人の中村淳さん

教育施設として建てられ、戦後はGHQの宿舎となっていたこの建物を1954年にホテルに変えたのが、創業者、故・吉田俊男氏。国文学者の二男として生まれた氏は超一流の趣味人で、ホテルには氏の個性が色濃く反映されています。その分かりやすい例がレストラン。全35室の小規模なホテルでありながら、和食、フレンチ、中国料理…、バーも合わせると7つもあります。そしてそのどれもが食通に名の知られた名店です。

「宿泊のお客様だけでは完全に成立しません。地域の方々にもホテルでの食事を楽しんでいただきたい。吉田はそのように考えていたようです。かつてこの界隈には大きなお屋敷がいくつもあり、毎週末、山の上ホテルで食事を、というお客様が多くいらしたと聞いています」

山の上ホテルは作家の宿としても知られています。編集者が作家を長逗留させて執筆に専念させ、また、プライベートでも贔屓にしていた作家が何人もいました。部屋の半数以上が作家で埋まったという時代もあったそうです。

「池波正太郎先生、山口瞳先生、田辺聖子先生…。最初の作家のお客様は川端康成先生だったそうです。先生方からは、海外のホテル事情からサービス哲学まで、いろいろ学びました。神保町への資料探しにお供することもありました。それから、原稿の仕上がりを待つ編集者の皆さん、大学の先生方や学生さん、大学病院の先生、地域の皆さん。有名無名を問わず、知的な方が多かったですね」

ロビー。今も昔も出会いの場所、文化の交差点
ホテルに届いた感謝状。左はトーベ・ヤンソン、右は三島由紀夫
池波正太郎がホテルに贈った絵画のひとつ

開業当時の佇まいを
取り戻した神田駿河台に
集う文化人のホテル

庭付きのスイートルーム。数々の名作がここで生まれた

「改修工事に際しては、この建物の設計者であるヴォーリズさんの事務所に協力を依頼しました。事務所はホテルのすぐそばにあるんです。また、今後は古書店さんなど、地域の皆さんとのお付き合いを今まで以上に深めていきたいと考えています」

錦華公園

かつて神田駿河台には深い森が広がり、その森の頂に建つ山の上ホテルは都会のオアシスでした。緑は減ってしまいましたが、この街が今も多くの人々が交流する「人の森」であることに変わりはありません。街の歴史を継承する山の上ホテルを核に、これからも神田駿河台は豊かな森であり続けるでしょう。

撮影:薮崎めぐみ

協力:山の上ホテル

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※掲載の情報は、2020年2月時点の情報です