東京都世田谷区「成城」は、小田急線「成城学園前」駅を中心に広がる住宅地です。学園と住宅地が一体となった理想の学園都市を目指して1924年に街づくりが始まり、現在もその理念は街並みに受け継がれています。落ち着きと品格を磨き続けて100年あまり。「成城」の街を歩きます。
広い道路、整然とした街区、ゆとりある敷地に建つ邸宅、生け垣や街路樹の緑。こうした景観は地域住民によって守られてきた「成城憲章」という街づくりの協定によって支えられています。緑の保全や街並み景観への配慮など、街を守る意識が共有されていることが、「成城」ならではの美しい住宅地を生み出しています。
駅周辺には「成城コルティ」をはじめ商業施設や飲食店が並び、日常の買い物に便利な環境が整っています。フレンチの名店「アシエット」や1965年創業の洋菓子店「成城アルプス」など「成城」の街とともに歩んできた老舗と、フラワーショップ「HANA TO TOGE」のような新しいショップが調和しているのもこの街ならではです。
一方、駅前から少し歩くと邸宅が建ち並ぶ静かな住宅街が広がり、落ち着いた生活環境が保たれています。静けさと利便性が共存していることも「成城」の大きな魅力です。
「成城学園前」駅は小田急線の主要駅のひとつ。急行や通勤急行も停車し、都心へのアクセスが良好です。「新宿」まで16分、東京メトロ千代田線直通もあり、「表参道」や「大手町」方面にもスムーズに移動できます。落ち着いた住宅環境と都心への快適なアクセス。このバランスが「成城」の暮らしやすさを支えています。

静かな生活環境は創作活動に適していたのでしょう。「成城」は戦後、作家や学者、映画人など多くの文化人が暮らした街としても知られています。宮尾登美子のエッセイ『成城のとんかつやさん』には作家が暮らしたころの「成城」の日常風景が描かれていますが、現在の「成城」の街にもこうした“文化の記憶”がしっかりと残っています。
国分寺崖線に近い「成城」は自然環境にも恵まれています。「成城三丁目緑地」や「神明の森みつ池特別保護区」には武蔵野の豊かな森が広がり、湧水が流れています。「みつ池」は23区内では数少ないゲンジボタルの生息地として知られ、貴重な自然は次の世代へと引き継ぐため、区民参加の保全活動によって守られています。
「成城」の静かな住宅地を歩いていると、ウバメガシの生垣に囲まれた一邸が現れます。財団法人労務行政研究所の初代理事長を務めた猪股猛氏とご家族が暮らした旧邸で、1998年に世田谷区へ寄贈され、現在は「成城五丁目猪股庭園」として一般公開されています。この場所は単なる旧邸ではなく、成城という街が育んできた価値観や美意識を今に伝える存在でもあります。
猪股氏の邸宅は1967年竣工。設計を手掛けたのは近代数寄屋の第一人者・吉田五十八です。伝統的な数寄屋造に現代の機能性を融合させた近代数寄屋の思想は、洋風化が進む暮らしの中でも“和の心”を大切にするという成城の気風と深く響き合います。実際、この邸宅は高い塀で閉じるのではなく、生垣や庭の緑を街へとやわらかく開く設えとなっており、住環境を住民自ら守る「成城憲章」の精神を体現する住まいといえるでしょう。
門をくぐり、アプローチを抜けて玄関へ。さらに居間へ進むと、幅三間の大きな窓越しに広がる庭園の景色に思わず息を呑みます。建具はすべて引き込まれ、視界を遮るものはありません。武蔵野の面影を残す成城の自然が凝縮されているこの庭園は、周辺環境と一体となる「借景」の思想によって、街の緑と連続する風景として設計されています。
隣の和室でも同様に庭園を望めますが、視点が変わることで印象が一変します。ここでは梅の木が主役となり、季節には香りまで感じられるかのよう。室内のランプシェードに梅の意匠が施されている点にも、建築と自然、暮らしを一体で設計する美意識が表れています。
さらに特筆すべきは二つの茶室の存在です。武家茶道・鎮信流の達人でもあった猪股氏は、文化人との交流の場として茶室を設けましたが、来客が絶えなかったため、夫妻で静かに楽しむための小さな茶室を増設したといわれています。ここには、文化を愛し、人とのつながりを大切にする成城らしいコミュニティの姿が映し出されています。実際、成城はかつて映画監督の黒澤明をはじめ、多くの文化人が居を構えた知的風土の高い街でもあり、猪股氏もその一翼を担った存在でした。
また、この庭園が現在まで良好な形で残されている背景には、ご遺族の「この環境を壊さず残したい」という意思があります。その寄贈によって、この地は守られ、今では地域に開かれた“みどりの拠点”として機能しています。個人の邸宅が、街の共有財産へと昇華した稀有な例といえるでしょう。
公と私をやわらかく仕切る生垣。自然と建築を融合させた近代数寄屋の住まい。文化を育む空間としての茶室。それらすべてが調和するこの場所から見えてくるのは、成城という街の本質です。自然と文化、そして価値観を共有する人々が穏やかにつながる暮らし。「成城五丁目猪股庭園」は、その精神を今に伝える象徴的な存在であり、この街に住むことでしか味わえない豊かさを語りかけています。
取材協力:成城五丁目猪股庭園
※掲載の情報は、2026年5月時点の情報です