伸行さんの才能を見付けるに至るまで 今、クラシック界で最もチケットが取りづらいといわれている、ピアニストの辻井伸行さん。伸行さんがピアノの才能を開花させたのは、母である辻井いつ子さんの存在が大きかったそうです。その辻井さんへ「自分らしさとは何か?」という問いを投げ掛けてみました。 辻井さんは、独身時代はアナウンサーとして活躍。産婦人科医である辻井 孝さんと結婚し、伸行さんを授かりました。ひとり息子が視覚障がい者であるとわかったのは、生後間もない頃のこと。「ひとりで思い詰め、将来を悲観し、パニック状態に陥っていました」と当時を振り返ります。 伸行さんは視力ばかりでなく、発育が遅く、ほかのお子さんとは違い、当時の育児書がまったく役に立たなかったといいます。また生活音にとても敏感で、掃除機や洗濯機の音が鳴り始めると、火がついたように泣き出してしまったそう。「『泣き出したいのは、こっちよ』と心の中で叫んでいました」 一方で、辻井さんは伸行さんがもつ「何か」を悟っていました。生後8カ月のこと。毎日かけていたCDを買い替えた時、それまでは手足をバタバタさせて大喜びしていたのに、なぜか伸行さんの機嫌が急に悪くなってしまったのだそうです。同じショパンの『英雄ポロネーズ』をかけているのになぜ? と思った時、「演奏家が違うからじゃないか」と閃いたのです。そこで、前と同じスタニスラフ・ブーニンのCDを探してかけた途端、伸行さんは手足をバタバタさせて、とっても楽しそうにしたというから驚かされます。 この子は聴力がすごく優れているのかもしれない。それだけでなく、演奏家を聴き分ける耳も持っている。もしかしたら音楽の才能があるかもしれない……。そう思った辻井さんは、ピアノの先生を探し出して習わせることに。「伸行の中に眠っている“何か”を導き出して育てようと決めました。でも“何か”はまだわからなかった。だから、ひたすら彼を見守り、観察し、わずかな反応にも敏感に対応しようと決めました」。単に見つめるのではなく、しっかりと観察する。この姿勢こそが、伸行さんの“何か”に気付くきっかけとなったのです。社会に適合させるために躾けるのではない 伸行さんは、実に1歳5カ月でピアノのレッスンを始めました。とはいえ、辻井さんご夫婦に“ピアニストになってほしい”という想いはなかったそう。視覚に障がいがある我が子に、ひとつでも自信になるようなことができれば。そんな願いがあったといいます。 また、視覚障がい者であり講演活動を積極的に行う福澤美和さんとの出会いも、障がいに対する辻井さんの意識を大きく変えました。障がいがあっても人生をいきいきと楽しむ福澤さんの姿に「伸行を子どものもつ“何か”のためひたすら観察する。それが子どもの可能性を開く視覚に障がいのある伸行さんが、なぜ世界に挑戦するプロのピアニストになったのか。子どもの頃のエピソードから、ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールに優勝するまでのエピソードを多数の著作に記している。公式ウェブサイト『辻井いつ子の子育て広場』には、辻井さんの講演や著作に触れた人々の感想や、子育て中の親からのコメントが掲載されている。読者からの声は著作でも紹介されており、子育てに悩む親たちへのエールとなっている SPRING 202231
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