アートのなかの暮らしの風景

現存作品が35点しか確認されていない寡作の画家、フェルメール。2018年の秋には、日本美術展史上最大のフェルメール展が上野の森美術館で開催されることが発表されるなど、日本でのフェルメール人気はますます高まるばかり。
そんなフェルメールの作品を眺めると、ある特徴に気付きます。それは、画中に地図が描かれていることが多いということ。なぜフェルメールは地図を描きこんだのか? そして、地図に込められた意味とは? 当時のオランダの絵画事情と合わせて、美術史家の木村泰司さんがその謎を紐解きます。

大航海時代のオランダで、
大流行したアイテムとは?

17世紀、スペインからの独立を果たし、共和国として市民社会を樹立したオランダは、オランダ東インド会社※が日本の長崎にも進出するなど、大航海時代を背景にした海外交易によって爆発的な経済発展を遂げました。その結果、アムステルダムは現在のニューヨークのような、国際貿易都市へと成長し、17世紀のヨーロッパにおける地図製作及び印刷の中心地にもなったのでした。

現在、アンティーク市場で大変貴重で高価な17世紀オランダ地図の特徴として、絵画的に華やかに装飾された点があります。経済的発展に伴い台頭した裕福な市民階級が、室内装飾として地図を壁に掛けることを好んだからでした。流行のインテリア・アイテムとして、壁掛け地図が絵画同様に壁面を飾っていたのです。

※ 1602年、東南アジアでの香料貿易を目的にオランダで設立された、世界初の株式会社。

オランダ絵画に
風俗画や風景画が多い理由

また、地図だけでなく絵画も自宅の壁面に飾ることが流行った結果、17世紀のオランダは絵画の黄金時代を迎えます。絵画が投機対象となったことも、実利的な商人階級が社会の中心だったオランダで好まれた背景にありました。

ただし、17世紀の他のヨーロッパ諸国では、絵画の注文主が教会と王侯貴族だったのに対し、オランダでは宗教美術を避けるプロテスタント社会であると同時に、市民社会が絵画の購買層になったため、聖書や神話を主題にした歴史画に比べると格が低いとされたジャンルが発展します。つまり、市民社会の日常生活を切り取った風俗画や身近な風景を描いた風景画、そして静物画が数多く制作されたのでした。

士官と笑う女
「士官と笑う女」
1658年 - 1660年頃、カンヴァス、油彩、50.5×46cm、
フリック・コレクション
(アメリカ合衆国、ニューヨーク)
提供:akg-images/アフロ

フェルメール作品にも
壁掛け地図が登場

そのような当時のオランダ絵画事情を象徴している作品が、フェルメールの「士官と笑う女」です。壁面には1621年に出版されたオランダ西部のホラント州と西フリースラントの地図が掛っていますが、現在のものと違い北ではなく西が上になっています。

このフェルメールの作品は、地図同様にオランダ人が好んだ風俗画のジャンルに分類されます。近隣デン・ハーグに宮廷社会があるデルフトの画家であるフェルメールの作品は、同時代の他のオランダの都市の画家に比べると、オランダ風俗画が持つ物語性が控えめに描かれている点が特徴です。

ここに描かれている女性は、ワイングラスを手にしていますので、安価なビールに比べて高価だったワインを嗜むことから、経済的に恵まれている状態であることがわかります。彼女が富裕層の女性で求婚者の士官とワインを飲みながら歓談しているのか、ふたりの関係性は明確ではありません。主題性(テーマ)がはっきりとわからない点が、フェルメールの風俗画の魅力のひとつとも言えます。印象派の巨匠ドガも、「絵画には少しミステリーが必要だ」と言っていたくらいですから。

絵画から読み解く
飲酒大国の一面

実は17世紀のオランダ風俗画に描かれている主題性は、現代のオランダ人もよほど美術史に親しんでいないとわからない人が多いのです。それは江戸時代の人間でない私たちが、歌舞伎鑑賞の際にイヤホン・ガイドを頼りにすることと同じだと言えるでしょう。

17世紀のオランダは、当時は飲酒により寛大だった他のヨーロッパ人でさえ驚くほどの飲酒大国でした。山がほとんどなく、平地が続くオランダで、現代のように水道施設も完備されていなかった時代では、水がとても貴重だったため致し方ない事情があったのでした。そうした当時の事情を読み解くことも、絵画鑑賞の醍醐味です。

絵画芸術
「絵画芸術」
1666年 - 1667年頃、カンヴァス、油彩、120×100cm、美術史美術館
(オーストリア、ウィーン)
提供:akg-images/アフロ

室内装飾として、
アンティーク地図は
お手頃アイテム

現代の日本では、17世紀オランダ風俗画を部屋にかけることなど、購入すること自体が難しいので有り得ません。しかし、地図を室内装飾として壁に掛けることはお奨めします。ただし、アンティーク地図でないと安っぽく見えてしまうので注意が必要。フェルメールの他の作品(「絵画芸術」ウィーン美術史美術館)にも描かれているように、当時のオランダでも古い地図(この場合はオランダが独立する以前のネーデルラントの地図)は室内装飾として好まれていたのでした。

18世紀以降、フランスとイギリス製の地図のクオリティーが高くなり、現在のアンティーク版画市場でも多く出回っています。ただし、装飾性はぐっと抑えられた実用的なものが多く、価格帯も17世紀のオランダのものに比べお手頃です。アンティークというと躊躇しがちかもしれませんが、元々は地図なため、現代作家の版画などに比べても求めやすい価格帯のものが多いのです。

思い出の地の地図で
脳内トリップ

アンティーク地図の面白さは、戦争などによって国境が動いてきた世界情勢が地図によって窺い知れ、歴史に対する探究心や知的好奇心を刺激してくれる点にあります。こうした知識欲こそが、海外進出と科学の発展があった17世紀のオランダ人が室内装飾品にもなった地図に対して抱き、そして与えられたものだったのでした。

アンティーク版画及び地図の良い点は、現在でも欧米では格の高い室内装飾と見なされる一方で、室内のインテリア様式をあまり問わないことがあります。もしご縁があれば、ハネムーンで訪れた国や都市、海外赴任の経験がある方はその地域のアンティーク地図を、インテリアのアイテムとしてだけでなく、記念品としても掛けてみてはいかがでしょうか。
アンティークの地図は部屋の格調を高めるだけでなく、知識欲や思い出など様々なものを授けてくれるはずだからです。

ヨハネス・フェルメール

1632年10月31日- 1675年12月15日。レンブラントと並び、オランダ絵画黄金期を代表する画家の1人。現存する作品は、35点しかなく、そのほとんどが故郷デルフトに住む一般市民の生活を描いた風俗画である。≪真珠の耳飾りの少女≫(1665年、マウリッツハイス美術館所蔵)は、フェルメール作品のなかでも最高傑作といわれ、その神秘的な美しさから「北のモナリザ」と称賛されている。

ナビゲーター木村泰司さん

<プロフィール>
1966年生まれ。西洋美術史家。米国カリフォルニア大学バークレー校で美術史学士号を修める。現在は、西洋美術の魅力を広めるべく、講演、セミナー、執筆などで精力的に活躍。『世界のビジネスエリートが身につける教養 西洋美術史』(ダイヤモンド社)、『おしゃべりな名画』(KKベストセラーズ)など著書多数。

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