時代ごとの栄華のあとが街に往時の品格をとどめ、歴史的な時間と現在とが生き生きとつながった街、北浜。
その北浜で息を吹き返し始めた水辺の賑わいの端緒には、船場人の熱い思いと物語がありました。
歴史を学び、街をめぐる。そんな特別な日常をこの街で体験してみませんか。
南北に走る「筋」。東西をつなぐ「通り」。この規則によって碁盤目状に町を割った船場地区は、大阪を代表する経済・金融の中心。堺の商人を集めた秀吉の時代から、一流どころの集まる地であった船場。大正から昭和初期にかけて「大大阪(だいおおさか)」と呼ばれた時代、この街は日本最大の都市、大阪の中枢でありました。
その船場の北の端、土佐堀通に沿ったエリアが北浜です。大大阪時代、この街の財界人たちは、ときには巨額の寄付を惜しまず、今に残る近代建築の名作を残しました。文化財に指定されていないものも含め、大阪市が選定した「生きた建築ミュージアム」のリストのうち、半数以上が北浜に集中していることからも、この街の建築物の水準がいかに高いかは明白です。施主の思いがこもったこれらの建築物は、この場所が特別な場所であることに改めて気づかせてくれます。
大阪のレトロ建築の中でも人気の高い個性派ビルといえば、芝川ビル。関東大震災の後地を見て耐震耐火の重要性を感じた当主が建てた、鉄筋コンクリートのビルです。瓦屋根の木造建築が主だった時代に、マヤ・アステカ風の装飾を施した鉄筋コンクリートのビル建設は、当時、どのような驚きをもって、人々に迎えられたことでしょうか。
現在は、こだわりの専門店やカフェなどが入っていますが、これもオーナーの、一般の人にもビルの内部の造りや装飾を楽しんでもらえたら、という思いがあったから。今でも建設作業というのは、膨大な手作業の集積でありますが、当時は階段の手すりに施された装飾のひとつひとつも、すべて手作りでした。細部に至るまで完成度の高いこうした近代建築が、街に品格を与えています。
御堂筋から東に入った芝川ビルを含むこの一角には、今も現役の幼稚園として使われている御殿風の和風建築、愛珠幼稚園、東京駅の設計も手掛けた辰野金吾による赤レンガ造りのビルや、ゴシック様式の教会が佇んでいます。ほんの数ブロックの中にこうした建物が建ち並び、百年近く保護されていることに驚きます。
堺筋に出ると、街は一気に賑わいを増します。左に曲がって少し南下すると、通りに沿って粋な黒漆喰の壁が続いています。旧小西家の豪壮な町屋の向こうには、平成に建てられた高層ビルが。新旧がダイナミックに隣り合わせになり、混じりあう街は、辻ごとにさまざまな表情を見せてくれます。この街が「生きた美術館」と言われる所以がこれらの建築群なのです。
北浜テラスより眺める大阪市中央公会堂。
さて、大坂城の城下町の時代から、ここには東西南北の堀川のほか、何本もの堀川が走っていました。大阪はもともと水運で大きく発展した街なのです。これらの堀川の多くは昭和30年代に埋め立てられてしまいます。しかし、奇跡的に街を一回りすることのできる水路が残っていました。水辺の街という姿を取り戻すことで大阪を再生しよう。それが、2000年ごろから大阪府、大阪市、大阪の経済界が一緒になって取り組んでいる都市構想の取り組み「水都大阪」です。
この「水辺の活性化」の取り組みが成功し、最も劇的に変わった街が、北浜です。10年ほど前、ビジネス街だったこの街を週末に訪れる人はほとんどいませんでした。それが今は、大阪内外から多くの人が訪れ、カフェめぐりや街歩きで大賑わい。センスのいい飲食店だけでなく、雑貨やファッションのセレクトショップなど感度の高い店の出店も増えて、今、大阪では最も注目のエリアです。
その理由は「川床(かわゆか)」。北浜1丁目から2丁目にかけて建物と川の間に設けた川床は、「北浜テラス」と名付けられ、大阪市と民間事業者が直接手を組んで運営する全国でも稀有なプロジェクト。大阪のど真ん中でありながら、中之島公園と土佐堀川が目の前にあり、まさに水辺の気持ちよさを体感させてくれる場所となったのです。心地よい川風と一杯のコーヒーで一日を始め、夕暮れ時にはライトアップされた中之島の景色を眺めながら、自分をオフにする。朝も夜も、川床がそこにあるからこそ、特別な時間を過ごすことができます。
1日本酒と季節を楽しむお店 北浜うらら
2イタリアンフレンチのビストロ Bistro bar 真琴
3カフェアンドダイニング NORTHSHORE CAFE&DINING
4クルージング&スペインバル 北浜ルンバ
5橋のたもと MOTO COFFEE
6Terrace Cafe北濱倶楽部
7イタリアン BUON GRANDE ARIA
8酒処麺処 きのした
9CHINESE CAFE RESTURANT 農家厨房 北浜店
10南あわじ美食農園 オリザ 中之島スピニング店
11カフェ Brooklyn Roasting Company Kitahama
12喫茶&バー MOUNT
13カジュアルレストラン OUI
14カジュアルダイニングカフェ & ISLAND
この川床のプロジェクト「北浜テラス」に、その始まりからずっと関わっているのが、北浜水辺協議会、理事長の出崎栄三さん。今でこそ多くの人が、いつもそこにあって当たり前のようにテラスを利用していますが、実は、このビルと川にはさまれた川床の場所は、大阪府の持ちもの。川床の設置は、簡単なことではありませんでした。
耐久性や安全性の実証のため、入念に2回も行われた建設実験。耐震や耐荷重の試験も重ねました。また、交渉の途中で体制が変わり、実現が遠のきそうになったことも。何度も暗礁に乗り上げそうになりながらも、水辺の活用を行政に働きかけ続けた結果、出崎さんら北浜水辺協議会は、大阪府から河川の占用許可を受け、北浜テラスの運営管理が行えるようになりました。河川法の緩和にも後押しされて、2007年、最初の北浜テラスが期間限定で3店舗オープン。この試みは話題を呼び、テラスには連日、人が押し寄せました。2009年には、川床が期間限定から常設に。現在の北浜テラスは14店舗。北浜は、上品で洗練され、生き生きと水辺を愉しむ新しいライフスタイルを発信する街に生まれ変わりました。
「船場を元気にしたい。大阪一の粋な街を取り戻したい」。代々の船場人である出崎さんたちの熱心な活動が、この街に関わる人を動かし、行政を動かして、実現したのが北浜テラス。実は、出崎さんがテーラーを構える北浜一丁目のビルは、以前、淡路屋という料亭があった場所。阪急電鉄の創始者、小林一三が足繁く通ったという、格式の高い店でした。川の眺望がよく、舟運に恵まれたこの一帯は、江戸時代から明治にかけて淡路屋をはじめとする高級な料亭や料理旅館が並び建ち、旦那衆が小舟で店に乗り付けては、川側から店に上がって遊びに興じたという華やかな界隈でありました。北浜テラスは、かつて大川で繰り広げられていたであろう、船場人の粋でしゃれた川遊びの再現でもあり、これからの世代にここ北浜や船場の文化を伝えたいという、出崎さんたち世代の思いの実現でもあるのです。
出崎さんは「これからこの街はもっとよくなっていきますよ」と言います。ここには、船場商人の商いの精神を受け継ぐ、船場人たちがいます。風格のある景観を保ち、新しい風を受け入れ、街の発展に力を尽くす。文化的な設備の招致も、彼らの視野に入っています。
北浜テラスも、まだまだやることがあります、という出崎さん。現在、中之島からはコンクリートの護岸が見えるだけですが、テラス側の景色をもっと良くしようと水辺協議会のメンバーと奔走。今年、ようやく計画が動き出し、著名なデザイナーを迎えて護岸の一部の景観を整え、新たな舟寄場とステージができる計画です。川床に船を直接、寄せることができるようになるだけでなく、中之島側からの景観も、がらりと変わるであろうこのプロジェクトで、この一帯にはまた新たな魅力が付け加えられるはずです。今夏を予定したオープニングイベントの計画はこれからということですが、どんな仕掛けになるのか、発表が楽しみです。
街の歴史を知り、ここに生きた人の足跡を学び、自らも船場人になっていく。そんな心意気で街を訪れれば、これまでと違った北浜の未来の姿が、見えてくるかもしれません。水辺に暮らすことは、都市にいながら、自然を感じること。中枢の街の先進性と、伝統的な街の文化、そしてゆったりした川の流れを同時に感じられるのが北浜の街なのです。
※掲載の情報は、2018年3月時点の情報です