たくさんの表情を持ち、歩くたびに発見がある。──目黒は、住む人の個性に寄り添う街であるとともに、その多彩な表情で、日常に新鮮な驚きを与えてくれる街です。そしてまた、時代の変化に柔軟に対応しつつも、その高い品格を揺るぎなく継承し続けている街でもあります。
目黒駅は、南北に走るJR山手線と、東西に走る東急目黒線・東京メトロ南北線・都営三田線の結節点にあります。交通の便に優れているということはつまり、目黒は、東西南北から流れ込む人と多様な文化を受け入れ、それを独自に昇華させてきた街だということです。
昭和初期に開業し、歴史の舞台となってきた「ホテル雅叙園東京」。インテリアショップが軒を連ねる、通称「インテリア通り」。再開発で活性化する目黒駅西口エリア。親しみやすさと活気が嬉しい権之助坂の商店街。高級官僚の別邸や下屋敷の伝統を受け継ぐ花房山・池田山界隈。街の南北に広がる広大な緑の聖域。伝統、新しさ、親しみやすさ、品格、自然…。たくさんの表情を持つこの街は、さまざまな嗜好を持つ人々を住人として受け入れ、満足させ、そして日常を活性化させています。
たくさんの顔を持つ目黒の街ですが、雑多ということでは決してありません。それは、城南五山のお膝元という、その歴史に負うところが大きいでしょう。城南地区に連なる五つの丘陵地にはかつて大名や華族が居を構え、その後、高級住宅地となりました。目黒駅に近い花房山には、明治・大正期の外交官、花房義質の別邸がありました。複数の大使館があることが、ここが現在も品格を備えた場所であることを物語っています。花房山の隣には池田家の下屋敷があった池田山。池田山にはかつて上皇后さまのご実家・正田邸が建ち、その跡地は現在「ねむの木の庭」として整備されています。
そんな街に相応しく、商業施設にも趣味の良さが感じられます。世界の家庭料理を提供する「gicca ikedayama」、北欧家具の「kirpputori(キルップトリ)」、お菓子箱を選べる穀粒菓子の「雪ワタリテ麦イズル」など。暮らしを豊かに花開かせる、目黒のショップです。
目黒の緑といえば、目黒川沿いの桜並木が有名ですが、それだけではありません。北に「国立科学博物館附属自然教育園」、南に「林試の森公園」と「目黒不動尊」。徒歩圏内にリフレッシュできる緑の空間がある。
それも目黒の街の魅力です。
南と北に広大な緑のエリアが広がる目黒の街。北側の「国立科学博物館附属自然教育園」の隣に、アール・デコ様式の美しい邸宅があるのをご存知でしょうか。1933年に建設された「旧朝香宮邸」。現在は「東京都庭園美術館」の本館として使われています。
「朝香宮家の創設者、鳩彦王の自邸です。フランス滞在中の1925年に、パリで開催された、いわゆるアール・デコ博覧会をご覧になり、アール・デコに魅せられた朝香宮ご夫妻が、帰国後に精魂込めてこの屋敷を建てられました。第二次大戦後に宮家の方々はここを離れましたが、何度かの変遷の後、1983年から美術館として使われています」
そう話すのは、東京都庭園美術館の学芸員、板谷敏弘さん。旧朝香宮邸を愛して止まない方です。
東京都庭園美術館は年に4回ほど企画展を開催していますが、その内の1回は、旧朝香宮邸の建物をじっくりと見ることができる、建物公開展です。毎回、デザイン、素材、歴史といったさまざまな切り口から旧朝香宮邸の魅力を伝えています。
「旧朝香宮邸には見どころがたくさんありますが、私は素材に注目すると面白いと思います。分かりやすいのは大理石ですね。ポルトロという、イタリア産の最高級の大理石が使われています。それから、ガラス。ルネ・ラリックのガラス照明が使われていたり、部屋によってデザインが違うんですよ。ブロンズ製のラジエーターカバーも人気があります」
2階建ての旧朝香宮邸は、1階はパブリックな空間として、2階はご一家が住むプライベートな空間として計画されました。2階については、特に奥様の允子妃の意向が強く反映されているそうです。
「允子妃は自由で活発、好奇心旺盛な方だったようです。その生き生きとした女性の感性が建物の随所に表れて、そこに若い女性が共感するんでしょうね。以前は建築好きの方が多かったんですが、最近は若い女性にも多く来ていただいています。ご自宅のインテリアの参考に、という方もいらっしゃいます」
現在も変わらず建築時のままの美しい姿で目黒の地に建っている旧朝香宮邸ですが、実は何度も存亡の危機にさらされました。
第二次大戦中の空襲、戦後の接収危機、1981年の再開発計画。旧朝香宮邸はそのすべてから奇跡的に守られました。それは数々の偶然が重なったからでしょう。しかし板谷さんは深いところにもうひとつ重大な理由があると言います。「この建物には魔力的なまでの魅力があります。だから何としても守ってあげたいと思うのでしょう」。
東京都庭園美術館の美術館としての基本テーマは「装飾芸術」。芸術作品を、「人や暮らしを彩る装飾」という観点から見て行くというものです。それは、「暮らしの場」として建てられたここでしかできないものです。
東京都庭園美術館は、3つの美しい庭園も人気です。寝転んでみたくなる芝庭。茶室のある日本庭園。春の桜が待ち遠しい西洋庭園。庭園だけの利用もできます。
「ここの庭は『公園』ではなく『個人の庭』として作られました。そのプライベートな感覚が心地よいと感じるのでしょうね。ほぼ毎日いらして、自分の庭のように寛いでいる近隣の方もいらっしゃいます」
東京都庭園美術館は2010年代に改修工事を行い、新館を増築。2018年に総合開館しました。レストランとカフェもできました。庭園に面したカフェは特に若い世代に人気で、彼らはSNSなどを通じて、この場所の魅力を広く発信してくれます。美術館は着実に新しいファンを増やしているのです。
写真撮影:薮崎めぐみ
写真提供:東京都庭園美術館(「 2 新しい風」)
※掲載の情報は、2021年7月時点の情報です