街の個性がはっきりし、それぞれにファンを持つJR中央線沿線の街。昭和初期に文化人が多く住んでいた「荻窪」は、当時の趣を残す住宅街として人気です。加えて、鉄道4路線が利用できるアクセスの良さと買い物施設の充実も、この街の魅力です。現代的な建物が並ぶ駅前エリアを過ぎると昭和初期の洋館が点在する住宅エリアが現れる、その鮮やかなアプローチの変化も印象的な、荻窪の街を歩きます。
荻窪駅はJR中央線・総武線の駅と認識されている方が多いかもしれませんが、実は東京メトロ丸ノ内線と中央線・総武線直通の東京メトロ東西線も利用できます。しかも丸ノ内線は嬉しい始発駅です。複数の路線が集まり人が集う場所だけに駅前は賑やかで、商業施設が充実しています。「ルミネ荻窪」や「タウンセブン」といった大型施設から、小粒ながら魅力が光る店まで揃っていて、生活に必要な物はもちろん、暮らしを豊かに彩ってくれる物まで、すべて揃うと言ってもいいかもしれません。
80種類以上の蜂蜜の中からスタッフが提案してくれる蜂蜜専門店「L’ABEILLE」、盆栽文化を自由な感覚で紹介している「盆栽鉢ストアゆきもの」、「ホッとする味」と評判の洋菓子店「パティスリー アンファミーユ」といった、店主の想いが感じられ、また、家族のようにつきあえる店が揃っているのもこの街ならではでしょう。
そんな駅前の商業エリアから歩を進めると、落ち着いた住宅エリアへ。荻窪は明治から昭和初期にかけて、著名人御用達の別荘街・住宅街として有名でした。与謝野鉄幹・晶子夫妻、井伏鱒二、棟方志功などが居を構え、街に文化の種を蒔きました。そのせいでしょうか、この街は文化・教育施設が充実しています。日本有数の音響効果を誇る「杉並公会堂」、杉並区の図書館ネットワークの中心「杉並区立中央図書館」、アニメ作りを体験できる「東京工芸大学 杉並アニメーションミュージアム」などがあります。
当時の著名人が建てた邸宅の中には公開されているものもあります。回遊式庭園が広がる「大田黒公園」は音楽評論家 大田黒元雄の邸宅跡を整備したもの。政治家・近衞文麿の邸宅跡に広がる「荻外荘公園」は、邸宅の復元を経て、2024年末に全面開園の予定です。他にも荻窪には近現代の歴史を担ってきた場所がいくつもあります。日常の中で歴史に触れることができるのも、荻窪に暮らす醍醐味の一つです。
歴史と文化を感じながら暮らすことができる荻窪の街。街を象徴する場所の一つに杉並区立の公園「角川庭園」があります。400坪超の敷地に、近代数寄屋造りの建物。その前に、四季を通じて草花を楽しめる庭園が広がっています。無料開放され、誰でも気軽に訪れることができます。
「角川庭園は、俳人で角川書店の創設者である角川源義氏の旧邸宅を改修して公開している公園です。氏とご家族が住んでいた母屋は『幻戯山房 すぎなみ詩歌館』という名前で主に俳句や短歌の講座やイベントを開催し、また、地域に複数ある俳句グループの活動拠点にもなっています」
そう話すのは、スタッフの淀川正進さん。角川庭園が開園した2009年から運営に関わっている淀川さんは荻窪で生まれ育ちました。角川庭園はもちろん、荻窪の街についても生き字引といえる方です。
角川庭園は俳句や短歌の施設として使われているだけではありません。地域の歴史や建築に関する講座、子ども向けの凧作り教室と虫とりの会、琴の演奏と共に中秋の名月を楽しむ会なども行っています。茶室もあり、茶会も行われています。
「イベントのときだけではなく、普段からぜひ気軽に立ち寄って欲しいですね。建物にも見どころが多いです。俳人としても知られる建築家の加倉井昭夫氏の作品で、1955年に完成しました。簡素な作りの中に洗練された美があり、何度見ても発見がありますよ」
近代数寄屋造りの建物は竣工当時のまま現存するものは少なく、原型のほとんどが残るここ幻戯山房 すぎなみ詩歌館は国の有形文化財に登録されています。
そして、見どころとして忘れてはならないのは庭園。アカマツ、芭蕉、ウメ、コナラ、エゴノキ、ホオノキ……。建物と同じく、庭園も贅を凝らしたものではありません。そこには俳人である源義氏の美意識が反映されているのでしょう。
建物も庭園もとても丁寧に整備されています。杉並区が遺族から寄贈を受けた際には所々荒れた状態だったそうですが、それを淀川さんたちスタッフが一つひとつ修復・改善していったそうです。そこにはこの場所への愛が感じられます。
荻窪の街を歩き、街の人たちと話をすると、郷土愛の深さを強く感じます。しかもその郷土愛には、古い物を残そうというだけではなく、発展させていこうという気概も感じられます。角川庭園は昨年秋、大田黒公園との共催で、外国人を対象とした荻窪ツアーを行いました。茶道体験や俳句のワークショップに加え、荻窪の街にあるお茶や盆栽の店にも立ち寄りました。
角川庭園は杉並区からの委託を受け、淀川さんたちが所属する「NPO法人 すぎなみ学びの楽園」が運営しています。同NPOは区と力を合わせて地域の人たちの交流事業も行っています。だからこそ、こういった活動ができるのです。「荻窪は、江戸時代に農民たちが結束して灌漑事業を成功させた昔から、住民が力を合わせて発展させてきた街です」と淀川さん。その気概は今も脈々と受け継がれているのです。
写真:薮崎めぐみ(荻窪を歩く)
櫛引典久(新しい風)
協力:角川庭園・ 幻戯山房〜すぎなみ詩歌館〜
※掲載の情報は、2023年2月時点の情報です